2003年1月
新年会があった.センター入試をはじめとしていろいろな入学試験もあった.新年会があった.センター入試をはじめとしていろいろな入学試験もあった.新年会があった.センター入試をはじめとしていろいろな入学試験もあった.新年会があった.センター入試をはじめとしていろいろな入学試験もあった.新年会があった.センター入試をはじめとしていろいろな入学試験もあった.新年会があった.センター入試をはじめとしていろいろな入学試験もあった.
桜門工業クラブの新年会が日大会館であり,出席した.
車の散歩では,都立桜ヶ丘公園にある旧聖跡記念館を見た.これは,日本最初の鉄筋コンクリート造りの建物だそうである.丹那断層とオラッチェ王国にも行った.
2003年2月
榛沢記念会,C−PASの講演会(三石玲子),高校の同期会,修士論文発表会などがあった.
おばあちゃんの原宿という本を読んだので,巣鴨のとげぬき地蔵というに行ってみた.高岩寺の他にも江戸六地蔵の1つがあり,猿田彦神社もある.
学研の電子組み立てセットの復刻版を買ってきて,いくつかの回路を組んでみた.
2003年3月
公務員講座の講師慰労会,1号館の竣工式,大学院不動産専攻の10周年記念会,非常勤講師懇談会,日大土木会の企画部会,卒業式,1学科1棟の説明会があった.1号館の竣工式では記念品として時計を貰った.
土木学会の関東支部発表会が新潟大学であった.中本,市川と出席して,座長をやった.その後,新潟市内を見物した.市内見物したところは,日本海タワー,新潟西海岸,憲政記念館,医の博物館,北朝鮮に誘拐されたバス停などである.1日目の夜,北陸地方整備局の局長と晩飯を食べることにしたが,そこで大学の同期生が亡くなったことを聞いた.急遽,帰京を遅らせて,翌日,密葬に行くことにした.たまたま,別の同期生も何人か来ることになっていたので,一緒に行ったあと,晩飯を田舍家というところで食べることにした.
品川駅の新幹線の駅の建設現場の見学に行った.最近の分岐器には,摩擦を減少させるためにボールベアリングが使ってあるそうである.
2003年4月
今月から,土木では助手が3人増え,副手が4人になった.
TAの任用式,1年の担任との打合せ,恒例の船橋校舎での花見,新入生歓迎式,学部運営方針説明会,新1号館完成披露式,校友会土木部会の総会などがあった.花見は,雨だったので室内でやった.
大学の内部監査があった.これまでは,高額な物を買ったところが検査を受けていたが,今年から,学科を指定して検査をするということで,土木が当たった.その中でもわが研究室が当たった.
人間ドックに行った.例年のとおり,肝臓が再検査となり,CT,生理機能検査などをやった.その結果は,全く異常なしで,酒を減らせというのが結論であった.今年から,歯科ドックというのもあるというので受けてみた.歯周病の恐れありということで,これも医者で診てもらうことにした.最終診断ではないが,今のところ異常なしのようである.
2003年5月
例によって,連休にはホームページの改定を行った.今回は,「独り言」のファイル構造を変更して,改定しやすくした.というのは,今度から,各ユーザーがファイルのアップロードをできるようになり,改定を頻繁にできそうだからである.もう1点は,写真を使うようにした.
ある建設会社の広報誌を見ていたら,新橋の汐シティに旧新橋停車場鉄道資料館とういのができたというので,見に行ってみた.無料だった.住所は,東京都港区東新橋1-5-3で開館時間は11:00-18:00である.7月21日までは「日本の鉄道開業」という企画展をやっている.内容は,当時の錦絵,東海道本線の建設史,初期の機関車の写真と模型などである.それによると逢坂山トンネルは現在は鉄道資料として公開されているようである.
建物自体が,当時の新橋停車場を復元したものであり,プラットホーム,0哩標識,復元した軌道,駅舎の基礎などがある.出土品も展示してあり,双頭レール,クレイパイプ,ラムネビン,車両銘板,犬釘,軸箱の蓋,手荷物引換証,汽車土瓶などがある.写真は,順に,ゼロマイルポスト,復元軌道,正面から見た入り口である.
ついでにまわりの建物を見てみたが,電通,松下電工,資生堂,日本テレビ,劇団四季の劇場などが主なものである.新橋停車場のまわりはベンチなどがあり,野外レストランなどもあるが,¥500くらいのの弁当を食べている人も多い.少し場違いな気もするが,前にホテルオークラのそばの森ビルのまわりでも同じような光景を見た.これがトレンドなのかもしれない.
2003年6月
車の散歩は,近くにあるものを見直そうということで,豪徳寺にある昭和47年に東京都の史跡になった井伊直弼の墓を見に行った.世田谷区は道路が狭いことを改めて感じたが,豪徳寺自体は,広壮で駐車場もある.ちょうど,どこかの学生が先生に連れられて,見学に来ていた.
次に行ったのは,環八沿いにある芦花公園内の徳富蘆花を記念した庭園と記念館である.これは,蘆花(健次郎)が明治40年2月27日,40歳のときに移り住んだところである.昭和12年に夫人から東京市に寄付され,昭和61年に当時の姿に復元した後,東京都の史跡名勝となった.写真は,夫妻の墓である.
理工学部のスポーツ大会があり,ウォーキングに参加した.大学のまわりを歩くというものである.近くでは,都市基盤整備公団が,坪井特定土地区画整理事業を行っており,かなり進んでいるようである.途中には,道祖神などがあり,そこそこ歴史がある町のようである.また,毎週火曜日の10:00から,坪井自然と環境を考える会というところにより,自然観察会と移植地の手入れというのが行われている.
しばらく歩くと,坪井町市民の森というのがあったが,これは,船橋市公園緑地課が千葉県のふるさとの森整備事業の補助を受けて,土地所有者から土地を借りて整備しているものである.借地期間は平成22年3月31日で,後約7年あるが,その後はどうなるのであろうか.最後に,日大の薬学部があったので,初めて行ってみた.コンパクトでなかなか良いキャンパスのようである.
久しぶりに,大阪に行った.市営地下鉄の御堂筋線に乗ったら,女性専用車両を平成14年11月11日から導入するというポスターがあった.10両編成の5両目がそれになる.月−金の始発から9:00まで,御堂筋線と北大阪急行線の全長30.4kmが対象である.しかし,前にこれを実施したために,かえって痴漢が増えたという記事を新聞で読んだような気がする.
次の仕事まで時間があったので,弁天町にあるJR西日本がやっている交通科学博物館(大阪市港区波除3丁目)に行った.展示してあるものは,明日に向かって(リニアモーターカーなど),鉄道の誕生(操業時代を昔の駅などで再現),鉄道のおいたち,鉄道車両のしくみ,鉄道の施設としごと,鉄道とくらし,航空・船・自動車のあゆみであるが,JRがやっているだけあって,交通といいながらほとんどは鉄道の話である.鉄道模型パノラマ室というのがあり,模型の運転ができるようであったが,誰もいなかった.また,シミュレーターがあったが,子供が遊んでいた.1度だけやってみた.外には,2代目の京都駅を模したホームがあり,C62,D51,くろしお,233型蒸気機関車などが保存してある.第2展示場には,DD13,DF50などが保存してあるほか,電機機関車用の整流器,転轍機などがある.展示室に,昔の閉塞方式であるタブレットが置いてあったので写真に写しておいた.
室内には,昔の「こだま」があったが,今の若い人はこだまとは新幹線のことだと思っているようなので,写真を写しておいた.当時のこだまは確か,東京,大阪間を6.5時間くらいで走り,日帰りができると宣伝していた.また,外のC62の運転席は,よく公園などにあるのに比べて,保存が良いので写しておいた.
2003年7月
5年ぶりで青森に行った.初めて,スカイマークエアラインに乗った.搭乗券はレジから出てくる熱転写の紙であり,半分のところで切れ目が入っていて容易に切れるようになっている.それがクリアファイルに入っているという形式である.普通の堅い紙のボーディングパスよりは少し安そうである.
ホテルは,インターネットで申し込んだところである.朝食は,洋食は無料,和食は\840であるというので,洋食にして見た.洋食の中身は,野菜サラダ,ハム1枚,ゆで卵1個,パン2枚,コーヒーである.
約束まで時間があったので,まわりを散歩した.昔の青函連絡船の八甲田丸があったので,いってみた.前には津軽海峡冬景色の歌碑があって,歌が流れていたが、人はほとんどおらず,まさに冬景色である.埠頭の先の方には,風力と太陽電池で手摺りを照明するようになっていた.
そばのアスパムの近くには,ねぶたの屋台を製作するためのテント小屋があった。後で聞くと,22基が製作中とのことである。最近は,不況の影響で減っているらしい。
翌日は,竜飛岬で青函トンネルとウィンドファームを調査した.途中で,青函ずい道の本州方入り口があり,ちょうど特急日本海が進入して行くところだった.近くの展望台には,列車の通過予定時刻が掲示してあるが、上り下り合計でも1日あたり30本くらいしかない.
青函トンネルの体験坑道には,モグラ号という人車で行く.降りた先は,地上から深さ200m,地上の青函トンネル記念館駅から斜め距離で800mのところである.
地底にある展示品は,実際に使用されたツルハシ,スコップ,ハンマーなどの道具類のほか,人車,先進ボーリング用のドリル,吹き付けコンクリート用の機械,出水対策用のポンプなどの機械類,支保工,NATM用の鋼棒の施工例などである.
記念館の隣には,竜飛ウィンドファーム展示館があり,各種の風車の形式の模型などがある。
そばには,かの有名な階段国道339号線がある.これは,小泊の方から来る道路が竜飛岬灯台の方へ昇り,海岸線を通っている青森市の方へ行くのと階段でつないでいるためである.日本でここだけだと自慢しているが,あまり自慢にもならないような気がする.太宰治は,この先に道はないと小説に書いたが,ちゃんとあると,パンフレットに書いてあった.ところで,津軽海峡冬景色の歌碑は,ここにもあった.
次は,ウィンドファームである.東北電力が設置しているもので,10基くらいの風車がある.写真を写そうと思うと,電柱や電線が入ってしまう場所が多い.ゆっくり探せばよい場所があるのかもしれないが,時間があまりない.いくつかの風車は,停止していたが,何か不都合があるのだろうか.
よくパンフレットに出ている景色がどこから見られるか,聞いて見たが,竜泊道路の途中にある眺望台からかもしれないというが,あまり自信はないようであった.たしかにそれに近い景色であるが,それらしい写真は,相当大きな望遠レンズで快晴の時にしか撮れそうもない.
帰りがけに,太宰治の斜陽館によろうと思ったが,ここらへんの道路は広域農道が多く,標識がほとんど無いので,迷子になってしまった.
そこで,直接,最後の目的地である三内丸山遺跡に行くことにした.これも道がよく分からないが,なんとかたどり着いた.昨年できた縄文時游館に行き,所長に会って,説明を聞いた.
その後,県の説明員というお嬢さんの案内で遺跡を見て回った.定番の掘建て柱の写真を出しておく.
2003年8月
月末近くに合宿ということで神津島に行った.行きは,竹芝桟橋を23:00に出航する東海汽船のサルビア丸である.大島,利島,新島,式根島に寄り,神津島には,翌日の朝9:10に到着する.神津島の人口は7月1日現在で2199人,世帯数は842である.産業は農業(年間生産高2億円),漁業(年間生産高8億円)が主である.
到着してすぐに宿に行き,卒研の中間発表をやった.プロジェクターにちょっとトラブルがあった.その後,遅い昼飯をバーベキューで食べた.場所は,どんたくハウスであるが,これは,村役場が設置している,バーベキュー用の小屋で12ほどの炉,炊事場,カラオケ用の機械と舞台などがあった.先客は,2組いた.例によって量が多すぎた.
その後,若い人たちは近くの赤崎海岸というところに行き,飛び込み台から飛んで遊んでいた.こちらは見ていた.
宿の人に車で迎えに来てもらい宿に帰った.
翌日は,午前中に天上山に登った.6合目までは天気が良かったが,それより上はガスがかかって何も見えない.写真は,6合目から見た前浜海岸とこの島唯一の村の全景である.明治32年には,大火があり,当時320戸あった内の310戸が焼失したらしい.それをきっかけに消防団ができた.オロシャの石塁跡のあと,千代池(雨水の溜まっている池),砂漠(原因はわからないらしいが,海岸にある砂と同じものがある)に行った.途中には,2000年7月に崩れた岩があったが,三宅島の噴火のときであろう.この時には,前浜港で約50cmほど隆起したそうである.
伊豆7島には,水に関する伝説がある.昔,水の配分を決める会議が神様によって開かれた.その時,神津島の神様は早く行ってくれたので,非常に良い水質の水が出る.ところが,利島の神様は寝坊したため,最後の1滴しかもらえず,いまだに苦労している.それを表現した彫刻が前浜にあるが,写真は寝ている利島の神様である.自戒のために載せることにした.
午後は,山を降りてから歩いて多幸灣に行き,泳いだ.シュノーケルを借りて,岩を2周した.魚は,クサフグ,ベラなど5−6種類見た.帰りは村営バスで帰ってきた.バスは,20人乗りくらいで料金\200で,1日に赤崎遊歩道方面が4便,空港,多幸湾方面も4便である.空港には,調布からアイランダーなどで1日3便飛んでくる.
宿で,2chでやっている神津島CATVを見た.内容は,相場情報(あしたばには,赤茎(\206),緑茎(\251)があるらしい.8月25日の集荷量は1780束であった.),海況,パスポートのお知らせ,下水道への加入の勧誘,敬老会のお知らせ,自主制作番組などである.
夜は,神津島温泉保養センターに行った.入浴料は\800だが村民は\400である.露天風呂は,大,小,展望の3種類ある.
最終日は,雨模様だった.午前中は,自由行動にしたが,僕は村の探検をした.行ったところは,
- 神津島村郷土資料館(夏だけ開館,\300): ここでの,説明によるとそばにある松工橋というのは,簡易水道を松戸の工兵隊が建設したときに架けた橋でそれを記念して名付けたようである.また,黒曜石が取れ,矢尻などに加工されていたようである.黒曜石は,三浦湾の北側の半島で採取されるが,良質のものは海中にあるらしい.
- ほうそう様: 1月15日を花正月といい,子供が小さく丸めた餅を椿の木に付けてここにお供えする.その後,餅だけを外して持ち帰り,裏山で取ってきたトベラを囲炉裏にくべて焼いて食べる.すると,痘瘡に罹らないと言われている.
- ジュリアと流人の墓(写真): おたあ・ジュリアとは,17世紀初めに,秀吉の朝鮮出兵のときに韓国から連れて来られた貴族の娘である.その後,家康に仕えたが,吉利支丹禁教令が出されたときに,棄教を拒否して,大島,式根島経由で神津島に流された.そこで40年間過ごして,逝去した.彼女を聖人に列しようと,村長などがパウロ6世にお願いにバチカンに行った.現在でも,韓国からミサをしに来るそうである.今年は8月の末に予定されている.
- 神津島村立小学校
- 濤響寺: 1639年創建の村重宝(建築物)
- おたあ・ジュリア顕彰碑
- こんぴら樣: 天狗の面の額がある.大漁の時には,魚を持ってお礼に来る.新造船はこの前を回って安全を祈願する.
- 村役場
- 生きがい健康センター
などである.
昼飯後,帰る船に乗るために,多幸湾にある三浦漁港船客待合所に行った.東海汽船のジェットホイル(写真)で,所要時間は2:40である.待合室には,近くの湧水池で汲んだ水がペットボトルに入れて置いてあった.1本飲んでみた.
やがて,船が出たが,今日は,荒れているため利島は欠航なので,大島にだけ寄港する.無事に竹芝桟橋に18:15くらいに到着した.
2003年9月
9月のはじめには,また,国土交通大学校でプロジェクト評価の講義をやった.
8日から11日まで,西安理工大学とのセミナーに出るために,4年ぶりで中国に行った.セミナーのあと,街を少し見物した.
行ったところは,街の中心にある鐘堂と鼓堂,その後,南大街を南に行き,城壁の南門で城壁に登った.真ん中の写真は,その後,夜に晩飯を食べに行ったときに,写した満月と鐘堂である.9月11日は中秋節で満月である.左の写真は,城壁であるが,西の方を見ているので,その先にはシルクロードがあるはずである.
翌日は,兵馬俑を見に行った.道路は,世界銀行が融資した高速道路を使ったが,料金は,2.5t,19人乗り以下は10元(約150円),2.5-8t,20人-49人が15元,8t-12t,50人乗り以上が20元,12t以上が25元である.兵馬俑は6000体くらいあるが,保存を考慮して,そのうち2000体くらいだけが発掘されている.ちょうどこの日は,兵馬俑を1974年に発見した楊さんという農民がガイドブックにサインをしていたので,150元で本を買って,サインしてもらった.字はよく分からないが,「楊の志は発見である」と書いてあるらしい.
兵馬俑の後は,楊貴妃の別荘,弘法大師空海が住職をしていた真言宗の故郷である青龍寺に行き,西安理工大学の新しいキャンパスを見た.
ところで,9月10日は中国では教師節であり,先生に感謝する日である.学生団体が学生向けにビラを配っていたが,それには次のような内容のスローガンが書かれていた.
- 授業前には,黒板と教卓を拭こう.
- 授業前には,先生に敬意を表して,起立して挨拶をしよう.
- 先生が講義をするときは,教室の規律を守ろう.
- 講義時間には,水を置き,敬意を表そう.
- 先生には,花を贈り教師の日を祝そう.
- 努力して学習し,人材になるよう発奮し,良い成績をとり,先生の働きに報いよう.
少しやらせの雰囲気があるかもしれないが,日本の学生も少しは見習ってほしいものである.
帰る日の前夜に,道路で似顔絵を描いてもらったので,表紙の写真をしばらく似顔絵に変えることにした.
中国か帰って来たら,大学では,また,入学試験の季節が始まった.
9月終わりには,徳島で土木学会の年次学術講演会があったが,ホテルがとれなかったので,残念ながら欠席した.
2003年10月
お昼の散歩も同じ所ばかりでは,飽きてきたので,東京駅に行ってみた.往きは電車で帰りは歩きである.東京駅の丸の内側では,しばらく前から,カウパレードというのやっているという話なので,丑年生まれとして見ておきたかったからである.東京国際フォーラムの周りにもいくつかあったが,写真はその1つの唐草模様の牛である.その他にも,いろいろなデザインのほぼ実物大のものがあったが,謂われや意味がよく分からない.僕以外にも,写真を写している人もおり,集客を狙ったものかもしれない.
東京国際フォーラムの周りには,ビジネスマンやウーマンが,自動車で来ている屋台でタコスなどの昼飯を買って食べているのがかなりの数いる.ニューヨークかワシントンの雰囲気である.
丸の内には,無料のシャトルバスがしばらく前から運行されていて,かなり評判が良いとのことである.ついでに,これも見ることにした.仕組みは,丸の内側にある10社余りの企業が資金を出し,日の丸自動車に運行を委託している.バスは,27席あるハイブリッド車である.平日は15分おきくらいに回ってくる.東京駅前の南北約1.6km,東西0.2kmの長方形を運行しており,1周は約4km程度である.北は読売新聞,南は日比谷公園の北の端がその範囲である.停留所は原則として資金を提供している企業の前のようで,具体的には,新丸の内ビル,みずほ銀行,東京サンケイビル,読売新聞,パレスホテル,郵船ビル,東京會舘,第一生命,三信ビル,新国際ビル,三菱ビルである.朝8:00−10:00は通勤用として想定されているようで,経路を2分割して2経路で運行している.10:00−20:00は一般客用と思われる.土曜日は10:00−20:00が運行時間である.乗客はかなり多く,立っている人もいた.たまたま,車いすの人が乗ってきたが,降車口にスロープが出るようになっており,運転手が降りて手伝っていた.
大学が創立記念日だったので,久しぶりに,八ヶ岳に行ってきた.JR鉄道最高地点(標高1375m)は,小淵沢から小諸までを走る小海線の野辺山にある.小淵沢からは,甲斐小泉,甲斐大泉,清里,野辺山の順である.近くには,野辺山の電波天文台もあるが,今回は1つしか見えなかった.清里からも近い.
帰りがけに清里にも寄ってみたが,季節によるのかもしれないが,往年の賑わいはない.ピクニックバスというのが1日券600円,1回券300円で走っていたが,乗客はほとんどいない.清里駅前の「うさぎのしっぽ」も少し客は入っていたが,塗装も剥げてしまっている.
三分一湧水にも行ってみた.これは,分水用の桝の真ん中に3角形の石を置き,丁度,水流が3分されるような仕組みになっている.付近の土地は水元といわれる旧小荒間村の有力者である坂本家が所有していたが,最近,長坂町が買い取ったようである.そのため,近くには,駐車場も整備されていた.ここは,若い人たちが集団で来ていた.観光開発にもいろいろ努力しているようであるが,あまり,はかばかしくないようである.
2003年11月
10月末から11月初めにかけて,福岡で東アジア交通学会(EASTS)があった.国際科学委員会(ISC)に出たり,座長をしたりしたが,暇を見つけて柳川,太宰府,佐賀バルーンフェスティバル,元寇防塁跡などに行ってみた.最終日にはテクニカルツアーで湯布院に行った.
柳川では,恒例のとおり舟に乗り,水郷巡りをした.11月のはじめにはここの出身の北原白秋を記念したお祭りがあるらしい.白秋は,造り酒屋の息子であったが,沖端地区の大火ですべてを失ったようである.
舟の終点には鰻屋が数軒ある.その内の1つの六騎というところで,鰻の蒸籠蒸しというのを食べてみた.まあ,普通であった.写真は蒸籠の様子がわかるように半分食べた所を写したものである.
柳川からの帰りに太宰府に行った.相変わらず,にぎやかである.門前は,梅が枝餅を売っている店が大量にある.中は,当たり前のことであるが相変わらずだった.
ところで,帰りに寄ったのは,西鉄の1日乗車券にこのコースがあったからである.これは,2日間有効で,柳川と太宰府から乗れるというものである.その他に柳川で温泉に入るものなどがある.約10%引きくらいの感じである.
元寇防塁跡を筑肥線の下山門に見に行った.文永弘安の役のときに,元の上陸を阻止しようとして建設されたのが,防塁跡である.九州の北岸に延々と作られたそうだが,現在は大部分が砂に埋まっており,数カ所で発掘されている.ここは,その1つである.ということを,近くを自転車で走っていた人に聞いた.
前夜テレビのニュースを見ていたら,ちょうど佐賀バルーンフェスティバルが始まったとのことであったので,行ってみることにした.まずバスで,佐賀駅に行き,そこからまたバスで森林公園前という所まで行った.25分くらいという話だったが,工事で渋滞していて1時間近くかかった.それからは,15分以上歩いて会場の端っこに着く.この日は,方角はどこでも良いが4−7km離れたところから,飛んできてターゲットに旗を落とすという競技で,10万円の賞金が貰えるそうである.後で聞くと,2−3機が墜落するという事故があったそうである.
帰りは,JR九州で帰った.この期間だけ,長崎本線の鍋島と久保田の間にバルーン佐賀という臨時駅を設置している.運賃は佐賀まで200円で,所要時間も10分くらいだった.やはり,時間帯があい,近くに駅があれば,バスよりも便利である.
最終日は,テクニカルツアーで湯布院に行った.途中で,愛宕地蔵尊に寄った.水掛け地蔵,抱き地蔵などいろいろな地蔵さんがあった.
湯布院では,エリア内に自動車を乗り入れないようにするという交通社会実験の説明を聞いた.その一環として,JR九州がトロッコ列車を運行している.
湯布院の中心街は,道幅が非常に狭い.そこに,観光バスまでが入り込んでいる.これでは,交通問題が起きるのは当たり前である.街の雰囲気は一言でいえば,九州の”清里”という感じである.(若い)女性には人気がありそうだが,一般的にはどうなのだろうかという,感じである.
豊橋に行った.ここには,豊橋鉄道が運行する市内電車がある.停留所は,駅前-新川-札木市役所前-豊橋公園前-東八町-前畑-東田坂上-東田-競輪場前-井原-赤岩口であり,井原からは運動公園前に分岐する線がある.運賃は一律で150円である.所要時間は駅前から赤岩口あるいは運動公園前までで21分である.当然,全線に乗ってみた.乗り心地は余りよくない.
伊良湖岬にも行ってみた.大したものはなかったが,名物は大アサリである.写真の左の方にある楊枝の長さは6cmであるので,大きさがわかると思う.2つで400円である.その他には,東大寺の屋根瓦を焼いた炉の跡が,初立ダムのそばにあった.伊良湖神社は,由緒正しそうな神社だったが,何かのお祭りの後の酒盛りをやっていた.
帰りは,田原に寄ったが,市になったばかりのようである.ここは,渡辺崋山の出身地で,記念の神社ができていた.お祭り会館というのがあったが,からくりの付いた山車があった.花火も有名なようであり,人が筒を持って振り回すようである.
田原からは,豊橋鉄道に乗ってみた.駅は,三河田原-神戸-豊島-やぐま台-杉山-老津-大清水-向ヶ丘-植田-芦原-高師-南栄-大学前-小池-柳生橋-新豊橋で,運賃は510円であり,バスよりも少し安い.
豊橋から東京に戻るのに,久しぶりに在来線に乗ってみた.まず,二川で降りて,二川本陣に行った.駅から,東に1kmほどである.昔の東海道53次の33番目の宿である.そこで貰った資料によると,53次というのは滋賀県の大津までで,あと京都と大阪に2つづつの宿があり,全部で57次ある.これは,そのうちに雑学の方にでも載せることにする.慶長小判の千両箱があったが,重さは17.73kgあり,昔の盗賊のように軽々と持って走るというのはほぼ不可能である.
その次は,浜松で降りて鰻を食べた.あまり,代わりばえはしない.その次は,静岡である.久しぶりに登呂遺跡に行った.静岡駅から登呂遺跡行きバスで約20分である.更にその次は,熱海であるが,ここでは下車しなかった.最後に小田原で晩飯を食べたが,東口に地下街ができていた.東海道線の在来線は大体1.5時間くらいの距離を1列車で移動できるようである.清水,富士,三島など夕方の駅前を見ると,どこも,薄暗く,活気がない.沼津は少し明るかった.
2003年12月
最近は,ウェブサイトをコラボレーションの手段として使おうということで,WeblogやWikiというのがはやり始めたらしい.Niftyでも,ココログというブログサイトのサービスが12/2に始まった.そこで,早速,開設してみた.ブログの使い方,考え方がまだよくわかっていないので,サイトの名前は”日本島”という訳のわからないものになっている.アドレスは,次のとおりである.
日本島(わたしのブログサイト)
一度,アクセスしてみてください.